国指定 史跡
ぶんごこくぶんじあと
豊後国分寺跡
大分市国分
国指定 史跡
ぶんごこくぶんじあと
豊後国分寺跡
大分市国分
奈良時代に、社会への不安を和らげるために、全国で国分寺が作られました。このお寺もそのうちの一つです。
建物の基礎などがよく残っており、奈良時代にとても大きなお寺があったことがわかります。
もっとくわしく
奈良時代に聖武天皇【しょうむてんのう】の命令で、全国につくられた国分寺【こくぶんじ】の一つです。「豊後国分寺跡」は大分川左岸の台地上にあり、現在も医王山国分寺【いおうぜんこくぶんじ】として存続しています。
境内【けいだい】には、江戸時代中期に建てられた薬師堂【やくしどう】(金堂跡)や観音堂【かんのんどう】(塔跡)が残っています。
豊後国分寺の遺構【いこう】は、昭和49年に始まる発掘調査で、国内屈指の規模をもつ伽藍【がらん】や寺の領域の広さが明らかとなりました。
東西182m、南北270m余りの広大な領域には、中門と金堂【こんどう】を結ぶ回廊【かいろう】がめぐり、回廊内の西側には塔が建てられていたと考えられています。
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指定年月日 昭和8月2日28日 -
管理団体 大分市