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豊後高田市一畑663-1 梅遊寺
石を板のように薄く長く加工したものを「板碑」とよびます。てっぺんを三角形にし、上の方に横線を刻んだものもあります。この板碑は他の板碑と並んで立っていて、高さは1.4mほどあります。碑身の上部に十三仏の種子【しゅじ】が大きく彫られています。表面には種子【しゅじ】が大きく彫られています。十三仏板碑としては県内では最も古いものです。
豊後高田市黒土・大岩屋
石で作られた覆屋【おおいや】(建物)に囲まれた凝灰岩の壁面に、大日如来【だいにちにょらい】を中心に観音【かんのん】や地蔵【じぞう】などが彫られています。仏像には墨書【ぼくしょ】や彩色が残っています。
大分市下戸次
石で造られた五重塔【ごじゅうのとう】です。四仏の種子【しゅじ】が彫られています。 基礎の石には、延文5年(1360)に平左近允幸広が造ったことが刻まれています。高さは3.3mあり、県内でも大きな規模の五重塔です。
竹田市直入町大字長湯
凝灰岩【ぎょうかいがん】の壁に、右に五輪塔【ごりんとう】中に座る観音菩薩【かんのんぼさつ】、左に五輪塔中に金剛界【こんごうかい】大日如来【だいにちにょらい】が、浅い線を彫【ほ】ってかかれています。
佐伯市宇目大字重岡
凝灰岩【ぎょうかいがん】質の石材で作られた墓で、日輪十字章が彫られています。墓石には、「るいさ」という女性の洗礼名と「元和五年」(1619)に亡くなったことが記されています。
竹田市竹田
礼拝堂と呼ばれている部分は凝灰岩【ぎょうかいがん】の壁をくりぬいたもので、内部はドーム状になっています。その横には禁教後に、宣教師【せんきょうし】が隠れ住んだと伝えられる洞窟があります。
速見郡日出町狐塚
帆足万里は、日出藩家老の家に生まれた江戸時代の窮理【きゅうり】の学者です。三浦梅園【みうらばいえん】・廣瀬淡窓【ひろせたんそう】とともに「豊後三賢」の一人にあげられ、学問・教育にその生涯を尽しました。
大分市鶴崎寺司浜
脇蘭室は、江戸時代の教育者で、速見郡の郷里で塾を開いた後に、熊本藩領の鶴崎(現在の大分市鶴崎)で藩士の子弟教育にあたりました。墓碑の「文教脇先生墓」は、郷里の塾で学んだ帆足万里【ほあしばんり】の書です。
中津市大字植野
犬丸川【いぬまるがわ】下流の台地の端にある縄文時代の貝塚【かいづか】です。貝は、ハマグリなどの浅い海の砂や泥にすむ貝が中心にみつかっています。
臼杵市掻懐
16世紀後半から17世紀初め頃に作られたキリシタン墓です。蒲鉾【かまぼこ】型と直方体型をした2基の墓石からなり、正面のほぼ中央に十字架が刻まれています。
大分市八幡987 柞原八幡宮
江戸時代の柞原八幡宮のようすが描かれた絵図です。あざやかな色彩で描かれており、非常に美しい絵ですが、当時の建物のすがたや配置が詳しく描かれていることから、歴史を伝える資料としても高い価値があります。
大分市大道
丈夫でよく切れると有名な豊後刀。この刀は、藤原實行という刀工が作った豊後刀です。銘文から、江戸時代につくられたことが分かります。年紀のある刀剣は希少価値があります。
日田市前津江町大野8321
日田市の老松天満社に伝わる、207面の懸仏です。神仏習合【しんぶつしゅうごう】の考え方を基に、神の本当の姿である仏を銅板にとりつけて、まつられていたものです。
宇佐市南宇佐2859 宇佐神宮
宇佐神宮のお祭りにおいて演じられていた舞に使われていたお面です。怖い顔をして、頭に龍が乗っているのは陵王【りょうおう】、長い牙をもっているのは納曽利【なそり】といいます。
豊後大野市三重町内田881 豊後大野市資料館
豊後大野市緒方町の釈迦堂のほこらに安置されていた、丈六【じょうろく】の不動明王像です。不動明王像としては大きいもので、平安時代につくられたものと考えられます。現在は豊後大野市資料館に展示されています。
国東市国見町千灯558-1 千燈寺
国東市の千燈寺に伝わる仏像です。平安時代後期に盛んだった技術を用いて、少し写実性をもたせ、鎌倉時代につくられたものと考えられます。
国東市国東町安国寺1639-2 国東市歴史体験学習館
国東市国東町下成仏に伝わる仏像です。お顔の彫りかたや衣文【えもん】の特徴などから、平安時代後期に国東でつくられたものと考えられます。
豊後大野市緒方町の釈迦堂のほこらに安置されていた、丈六【じょうろく】の仏像です。平安時代につくられたものと考えられます。現在は豊後大野市資料館に展示されています。