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豊後高田市田染小崎及び田染真中の一部
豊後高田市田染にある重要文化的景観です。田んぼの形や土地の利用のしかたなどが、14世紀ごろから変わっていないことがわかっています。宇佐神宮の荘園だった頃の姿を今に伝える「生きた遺跡」といえる景観です。
東国東郡姫島村の全域及び接する海域の一部
姫島の島全体と周辺の海がまるごと重要文化的景観に選定されています。火山からできた島と周りの海の資源を生かし、漁業、塩業、車えび養殖など様々な生業【せいぎょう】を営む海村のくらしの景観です。
日田市源栄町
日田市にある重要文化的景観です。小鹿田焼の伝統を伝える皿山地区と、谷地での生業を伝える池ノ鶴地区という二つの地区があります。水・土・木を活かした独特な生業を今も受け継いでいる景観です。
杵築市大字狩宿
小熊山古墳は大型の前方後円墳で、九州でも最古級の埴輪【はにわ】が見つかっています。 御塔山古墳は大きな円墳で、家や船をかたどった、様々な種類の埴輪が見つかっています。古墳の立地や出土品から、当時の中心地であった近畿との強いかかわりがうかがえます。
宇佐市大字高森字京塚 大分県立歴史博物館
この絵は、放牛光林というお坊さんを描いたものです。放牛光林は元(いまの中国)で修行し、日本に戻ってからは京都の建仁寺【けんにんじ】などの住職をしていました。放牛光林が開いたといわれている龍祥寺【りゅうしょうじ】に伝わっていたものです。
大分市八幡 柞原八幡宮
柞原八幡宮のクスは柞原八幡宮のご神木で樹齢約3000年と伝えられている巨木です。県内で最大のクスです。
豊後大野市三重町大字赤嶺
豊後大野市にある前方後円墳です。古墳の形は崩れているところがありますが、墳長は36mほどです。出土した円筒埴輪から、5世紀後半ごろに造られたと考えられます。
豊後大野市三重町大字上田原
豊後大野市にある、墳長約65mの前方後円墳です。北側はよく残っており、周溝【しゅうこう】や周溝を渡るための陸橋が残っています。発掘では墳丘から葺石や埴輪【はにわ】が見つかっており、それらの特徴から4世紀後半につくられた古墳だと考えられます。
国東半島に広がる六郷山【ろくごうさん】のお寺の歴史と文化を知る上で、基本となる古文書群【こもんじょぐん】です。耕地の開発やお寺の行事など、国東半島のいのりとくらしの様子を知ることができます。
中津市山国町草本
甌穴【おうけつ】とは川底や川岸の岩が水の浸食【しんしょく】で削り取られてできる円形の穴のことです。長い年月をかけてできた大小無数の甌穴のある岩を沢山みることができます。
大分県中津市、宇佐市、日田市、玖珠町、九重町
中津市を中心に30km以上にひろがる広大な名勝です。火山活動による岩石が削られてできた奇岩や滝、川など多様な地形が特徴です。江戸時代にこの場所を訪れた頼山陽【らいさんよう】が「耶馬渓」と名付けたと言われています。
豊後高田市黒土1475 無動寺
薬師如来は、はるか東の瑠璃光浄土【るりこうじょうど】に住むといいます。病を治すなど、現世利益【げんせりやく】、この世で人々をすくってくれる仏として信仰されました。十二神将は薬師如来のガードマンです。十二神将像は、薬師如来より後に制作された像です。
国東市国見町櫛海1532 万福寺
両手先がありませんが、万福寺では薬師如来【やくしにょらい】と伝えられる像です。薬師如来は、はるか東の瑠璃光浄土【るりこうじょうど】に住むといいます。この像は、彫刻に適さない木を使っていますが、その木で彫らなければならないわけがあったとみられます。
無動寺 【むどうじ】では、弥勒仏【みろくぶつ】と伝えられてきた像です。弥勒菩薩【みろくぼさつ】は、釈迦【しゃか】が亡くなってから56億7千万年後に如来【にょらい】となり、この世界に現れ人々を救うとされました。弥勒菩薩は、如来となることが約束されているので、如来の姿でも表現されました。すると、お寺の言い伝えも、まんざらではないのかもしれません。
宇佐市南宇佐2077 大楽寺
弥勒菩薩【みろくぼさつ】は、お釈迦様が亡くなってから56億7千万年後に、如来【にょらい】となり、この世界に現れ、人々をすくうとされました。弥勒菩薩は、未来に如来となることが約束されているので、弥勒仏ともよばれ、如来の姿でも表現されました。この像は、そうした弥勒仏の代表的な作です。
無動寺【むどうじ】の本尊です。明王【みょうおう】は、どのような人でも仏教の教えに導こうとする存在で、怖い表情をしています。なかでも、不動明王【ふどうみょうおう】は怒りと慈悲の仏として、人々に信仰されてきました。
豊後高田市黒土401 応暦寺
明王【みょうおう】は、どのような人でも仏教の教えに導こうとする存在で、怖い表情をしています。なかでも、不動明王【ふどうみょうおう】は怒りと慈悲の仏として、信仰されてきました。応暦寺【おうれきじ】の像は、衣文【えもん】も彫られていません。1本の木にまず仏の姿をあらわすことを第一とする考えにもとづいた像といえます。
国東市国見町岐部1806 胎蔵寺
頭から台座まで1本の木でつくられた像です。木への信仰を感じさせる像のひとつです。地蔵菩薩【じぞうぼさつ】は、死後に苦しむ世界にいる人に代わって、苦しみをうけてくれる仏として信仰されました。菩薩のグループにいますが、お坊さんのような姿で表現されます。