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佐伯市宇目大字千束
鳶野尾神社【とびのおじんじゃ】の秋祭り(9月下旬)に、奉納される太鼓踊りです。太鼓打ちの背で多彩な花が揺れ、道化役が笑い役を引き起こす、明るい楽です。
豊後大野市緒方町原尻
岩盤をくりぬいてつくられた石風呂で、火室と浴室があります。火室を熱して蒸気をつくり、浴室で蒸気浴をするもので、明治時代初期まで使用されていました。
佐伯市大字青山黒沢
富尾神社の4月25日に近い日曜日の祭りに、神楽【かぐら】・獅子舞【ししまい】・杖踊【つえおどり】・神踊【かみおどり】が奉納されます。
中津市991番地 円龍寺
花こう岩でできた灯籠【とうろう】です。この形の灯籠を戦国時代〜江戸時代の武将や茶人である古田重然【ふるたしげのり】(通称:古田織部【ふるたおりべ】)が考えたとされることから、織部燈籠と呼ばれています。
佐伯市米水津大字竹野浦
ビロウは、ヤシ科ビロウ属の植物です。竹野浦は、佐伯市米水津【よのうづ】湾にある浦のひとつです。大分県内で、ビロウが湾内の陸地にまとまって生えている所は他にありません。
宇佐市南宇佐2859 宇佐神宮
刃の長さが93.5cmの日本刀です。刀に刻まれた文から、室町時代に南朝の懐良親王【かねよししんのう】が宇佐神宮に奉納した刀であることがわかります。
大分市上野丘2-8-27 金剛宝戒寺
明王は、どのような人でも仏教の教えに導こうとする存在で、怖い表情をしています。金剛宝戒寺【こんごうほうかいじ】の不動明王は、空海【くうかい】(774〜835)が中国から伝えたデザインの像です。
杵築市南杵築1539 妙経寺
毘沙門天はもとはインドの神で、仏教では北を守る存在です。多聞天【たもんてん】ともいいます。東西南北を守る四天王のひとりですが、日本では毘沙門天単独で信仰をあつめてきました。
杵築市山香町大字内河野
毘沙門天は、もとはインドの神で、仏教では北を守るといわれています。多聞天【たもんてん】ともいいます。像の内側にある銘文【めいぶん】から、この仏が伝わる所と関わりがないお坊さんが願って、つくったことがわかります。
国東市安岐町糸永1339 瑠璃光寺
阿弥陀如来は、はるか西のかなたにある極楽浄土【ごくらくじょうど】に住むといいます。瑠璃光寺【るりこうじ】の像は、右手を体の前にかかげ、左手を下におろしています。この手のかたちは「大丈夫、心配ない」という意味です。
宇佐市大字高森字京塚 大分県立歴史博物館
江戸時代の殿さまの指示でつくったものです。江戸時代の別府一帯の温泉や風景、ならわしなどを伝える貴重なビジュアルデータです。
宇佐市大字川部・高森
宇佐平野を流れる駅館川【やっかんがわ】の東側の台地上にあり、前方後円墳【ぜんぽうこうえんふん】6基を中心とした古墳群です。このうち赤塚古墳は、九州で最も古い時期に築かれた前方後円墳と考えられています。
杵築市奈多229 八幡奈多宮
インパクトのあるお面です。デザインのもとは、はっきりとしません。「陳道」は「鎮道」【ちんどう】の発音が変化したものとみられ、道をきよめて、鎮めるの意味があるといいます。
国東市国東町横手8378 神宮寺
来迎【らいごう】は、命が終わろうとしている人のもとに仏が迎えに来ることです。来迎図は、それを絵にしたもので、阿弥陀如来【あみだにょらい】の来迎図が多くあります。この絵は、十一面観音の来迎を絵にしたもので、あまり例がありません。
宇佐市大字北宇佐
ヒノキの皮を用いて屋根を葺【ふ】く、桧皮葺【ひわだぶき】の技術とヒノキの皮を屋根材として整形する技術です。大分県内では、宇佐神宮本殿(国宝)の屋根などで桧皮葺の屋根を見ることができます。
日田市中城町・豆田町・港町
江戸時代後半に活躍した教育者である、廣瀬淡窓(1782〜1856)の家とお墓です。淡窓は、日田の商家【しょうか】に生まれました。学問の道にすすみ、咸宜園【かんぎえん】を開き、たくさんの人々に学問を教えました。現在、淡窓の生家は資料館になっており、廣瀬家の歴史を学ぶことができます。
日田市大字日高
7基の円墳からなる古墳群です。このうち、3号墳は、石室に壁画がのこり、装飾古墳【そうしょくこふん】として貴重です。4号墳からは、鏡、鉄剣、馬具【ばぐ】などの遺物がみつかっています。
別府市大字鉄輪及び鶴見の各一部
別府市にある、温泉文化の重要文化的景観です。湯治【とうじ】の文化を伝える鉄輪【かんなわ】地区と、湯の花小屋が立ち並ぶ明礬【みょうばん】地区という二つの地区が選定されています。別府のシンボル湯けむりと、多彩な温泉文化が特徴的な景観です。