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大分市王子西町14-1 大分県立先哲史料館
緑の草原がひろがる阿蘇山の外輪山【がいりんざん】や、くじゅう連山のふもとを領地とした田尻氏に伝わった古文書群【こもんじょぐん】です。室町時代までの、豊後国【ぶんごのくに】と肥後国【ひごのくに】の国境地帯の歴史を知る、貴重な記録です。
豊後高田市長岩屋・黒土
国東半島の北西部にある天念寺と無動寺、その背後にある「耶馬【やば】」といわれる岩峰や岩屋が特徴的な景観をつくっています。両者が古代から行われた「峯入り【みねいり】」を通じてつながっていることやお互いに眺望の対象となっていることが特徴です。
豊後高田市夷
夷谷【えびすだに】は、国東半島北西部にある谷です。東夷と西夷の二つの谷からなり、その間に広がる奇峰が連なる山々は「中山仙境」と呼ばれています。江戸時代の国学者高井八穂【たかいやつほ】は、夷谷の八つの優れた景勝地を見て、和歌にして、「夷谷八景」と称賛しています。
豊後大野市三重町小坂
豊後大野市三重町にある前方後円墳です。前方部が短く、低いという特徴から、三重町の前方後円墳のなかでも比較的古いものだと考えられています。古墳の周りの周溝【しゅうこう】などもみられる、残りの良い古墳です。
由布市湯布院町川南 大午社
大杵社【おおごしゃ】の御神木である大スギは県内で最も大きなスギで、樹齢は1000年以上といわれています。
玖珠郡玖珠町大字森・帆足
大岩扇山は頂上が平らなテーブル状の形をして、周囲が断崖【だんがい】で囲まれた地形をしています。このような地形をメサといいます。大岩扇山は玖珠の山々を代表するメサ地形の溶岩台地です。
杵築市奈多229 奈多宮
日本の神は、姿なき存在でした。仏教の影響のもと、神の姿を表現するようになりました。八幡神がお坊さんのような姿をしているのは、奈良時代の終わりころに八幡神は出家し、仏教の道にはいったと考えられたからです。神仏習合【しんぶつしゅうごう】のさきがけといえます。
臼杵藩主の稲葉家に伝わった古文書群【こもんじょぐん】です。 江戸時代の幕府との殿様のつながり、稲葉家の歴史を知ることができる「江戸時代の武家」の記録です。
宇佐市大字高森字京塚 大分県立歴史博物館
豊前国【ぶぜんのくに】南部(いまの大分県中津市・宇佐市)を拠点とした武士の姿を知ることができます。この古文書群【こもんじょぐん】は、室町時代から戦国の動乱をいきぬいた地域の武士と当時の社会の様子がわかります。豊前国の歴史を知る上でも、基本となる古文書群【こもんじょぐん】です。
速見郡日出町 松屋寺
松屋寺【しょうおくじ】のソテツはもともと豊後府内城に植えられていたもので、日出藩の2代藩主・木下俊治【きのしたとしはる】が松屋寺に持ち帰ったといわれています。江戸時代から日本一のソテツとして名高く、樹齢は600年以上と推定されています。
佐伯市本匠大字小半
全長約700m以上ある鍾乳洞【しょうにゅうどう】です。洞内には天井から多くの鍾乳石【しょうにゅうせき】が垂れ下がり、見事な景観をつくっています。中でも斜めに傾いている斜柱石【しゃちゅうせき】は有名です。(現在、立入禁止です。)
豊後大野市三重町大字内田
豊後大野市の三重中学校の中にある前方後円墳です。大きさは約53mで、墳丘は二段になっています。墳丘は葺石【ふきいし】に覆われており、埴輪【はにわ】が並べられていました。
豊後大野市三重町大字秋葉
豊後大野市に所在する前方後円墳です。もともとの大きさは約52mほどあったと考えられます。出土した埴輪【はにわ】の特徴や、古墳の形から、重政古墳とほぼ同時期につくられたと考えられます。
豊後高田市長岩屋、国東市国東町岩戸寺・成仏
国東半島の六郷山【ろくごうさん】に伝わる修正鬼会は、五穀豊穣【ごこくほうじょう】を願う祭礼と、邪鬼を払う祭礼に火祭りが一体になったとされる行事です。修正鬼会の鬼は福を授けるよい鬼で、仏の化身ともいわれます。
弘法大師【こうぼうだいし】へのおもいと聖地・高野山へのあこがれを知ることができます。 豊後国【ぶんごのくに】と高野山とのつながりを伝える古文書群【こもんじょぐん】で、たとえば豊後国守護の大友氏は高野山で亡き人の菩提を弔いました。また、江戸時代以後は、豊後国のさまざまな人々が高野山へおまいりしたことがわかります。
大分市神崎
大分市と別府市との境にある標高628.4mの高崎山にある、日本最大規模のニホンザル群生息地です。
中津市大字伊藤田 古要神社
豊前国【ぶぜんのくに】南部(今の大分県中津市・宇佐市)のうち、宇佐郡元重を拠点とした武士の記録です。戦国の動乱の中、武士はどう生き抜いたのか、戦いのさなかでの武士の姿を伝える古文書群【こもんじょぐん】です。