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大分市八幡987 柞原八幡宮
この刀は、鎌倉時代の有名な刀職人の国宗【くにむね】が制作した刀です。豊後国を治めていた大友氏が柞原八幡宮【ゆすはらはちまんぐう】に納めたものと伝わっています。
大分市八幡987
豊後国を治めていた大友氏が、柞原八幡宮【ゆすはらはちまんぐう】に納めた太刀といわれています。刀に「源国?」という文字と刀の作りから、京都の刀職人がつくったものだと考えられます。
豊後高田市夷
堂園板碑【どうぞのいたび】・梅の木板碑【うめのきいたび】の2カ所に分かれています。板碑とは板状の石に梵字【ぼんじ】を刻んだものです。ここでは、大きな二つの石に、線で71基の板碑を描いています。南北朝時代(室町時代)の頃に刻まれたと考えられます。
国見町千灯
高さ70cm、幅160cmの石に彫られた阿弥陀来迎図【あみだらいごうず】です。来迎図とは、死ぬ間際の人を阿弥陀が迎えに来る様子を表した絵です。 仏様の光背【こうはい】を彫りくぼめることで、仏が浮き出でるよう見せています。 鎌倉時代から室町時代に作られたもので、国東半島に浄土教信仰が浸透していたことを示します。
大分市宮苑
丸や三角形の文様、人型の線刻【せんこく】と赤い塗料で装飾された横穴式石室【よこあなしきせきしつ】をもつ古墳です。 古墳の土が一部なくなってしまっているため、元々の大きさはわかりませんが、石室の構造から古墳時代の終わり頃につくられた豪華な古墳であったことがわかります。
豊後大野市三重町浅瀬
平安時代に大野川沿いの崖に彫られた仏様です。仏様は5躯あり、和歌山県にある紀州熊野権現【きしゅうくまのごんげん】の仏様の分身を、移したものとされています。細かく作り込まれていることから、彫刻作品としての価値も高いため、美術品として国重要文化財の指定も受けています。
玖珠郡九重町松木
高さ2.3m、幅7mほどの浅い岩窟に不動明王像【ふどうみょうおう】をはじめとする5躯の仏像が彫られています。室町時代中期頃に、地元の石工【いしく】によってつくられたようです。
国東市武蔵町三井寺 照恩寺
豊後大野市緒方町久土知
緒方川沿いの丘の岩壁にある穴に、5躯の仏が彫られています。平安時代の作風を残しつつも、鎌倉時代の豪快で地元独特の作り方をしています。
緒方川沿いの丘の岩壁にある穴に、3躯の仏が彫られています。高さは1.45mほどで、赤色・黄色・群青色の塗料が塗られています。緒方宮迫東石仏と同じく、鎌倉時代につくられたと考えられていますが、作風が違うため別の人が彫ったようです。
杵築市大田小野
国東半島一帯には、独特のデザインの石塔があります。「宝塔」という石塔をもとにしたもので、「国東塔」とよばれます。この塔は、国東半島で有力な一族であった財前家【ざいぜんけ】の墓地にあり、墓地の中心となる塔です。
大分市高瀬
大分市高瀬の岩壁にある穴の中に、5つの仏像が彫られています。 あまり大きくはありませんが、立体的な絵の表現を上手に取り入れているなどの工夫がみられます。いずれの像も色が塗られており、後世に補修されていますが、元々の色彩がよく残っています。 各像ともに、鎌倉時代中期頃につくられたと考えられています。
臼杵市野津町大字八里合字津留平1162 臼杵市
五輪塔は、5つのパーツにわかれる塔です。下のパーツから、地輪【ちりん】・水輪【すいりん】・火輪【かりん】・風輪【ふうりん】・空輪【くうりん】といいます。それぞれのパーツは、三角形・丸・四角形など、いろいろな形をしています。この塔は、「備後尾五輪塔」と呼ばれ、一つの石からつくられた五輪塔です。
臼杵市大字中尾
豊後大野市犬飼町田原
犬飼町の山の中に、「不動堂【ふどうどう】」と呼ばれるお堂があります。その中の岩壁に掘られた穴に、高さ3.76mの不動明王坐像【ふどうみょうおうざぞう】とその他2体の仏像が彫られています。 不動明王とは、仏様を信じる人々を守る仏様のため、この仏像も猛々しい見た目をしております。この仏像は、鎌倉時代後期につくられたと考えられております。
日田市大字内河野
古墳時代後期につくられたお墓です。死んだ人が入る石室には、鳥・人、船、紋様が赤と緑の塗料で描かれています。石室の石を塗料で装飾した古墳を装飾古墳と呼びますが、穴観音古墳は筑後川沿いの装飾古墳でも、代表的な古墳です。
臼杵市野津町大字王子字中馬場3089番地
水田の中に立っています。高さは6.12mで、「水地九重塔」とも呼ばれています。塔のいちばん下の層(一重目)の四面に、それぞれ仏像が彫られています。また、仏像の横に刻まれている銘文【めいぶん】から、文永4年(1267)にたてられたことがわかります。石塔の歴史を知るうえで、基準となる塔です。
杵築市大字杵築
江戸時代、国東半島の東側を治めていた杵築藩主の居城の跡です。城の本丸がある台山地区と、その麓にある藩主御殿【はんしゅごてん】が指定されています。江戸時代はじめの「一国一城令」で、台山地区の建物は壊されたため、江戸時代を通して、藩主御殿が杵築藩の拠点となりました。