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国東市国東町岩戸寺1222 岩戸寺
国東半島一帯には、独特のデザインの石塔があります。「宝塔」という石塔をもとにしたもので、「国東塔【くにさきとう】」とよばれます。この塔は、年号がある国東塔で、最も古いものです。部分の表現もこまやかで、国東塔を代表するものです。
玖珠郡玖珠町大字森
角牟礼城跡【つのむれじょうあと】は、玖珠盆地の角埋山【つのむれやま】という険しい山の上につくられた城です。元々は室町時代中頃に土を切り盛りしてつくられた城でしたが、全国で石垣を使った城が流行した時期に、石垣をつくりました。
臼杵市野津町大字原
戦国時代に下藤村で暮らしていたキリスト教の信者を埋葬した墓地です。発掘調査によって、66基のお墓と小さな建物跡、道路跡が見つかりました。キリスト教は江戸時代に禁止されていたため、この遺跡ほど良好な状態で残っているキリシタン墓地は珍しく、大変貴重な遺跡です。
竹田市会々・久住町大字有氏、豊後大野市緒方町寺原
江戸時代に岡藩(現竹田市周辺)の藩主をしていた中川家のお墓です。場所は、岡城城下町の碧雲寺【へきうんじ】、城下町の北にある大船山【たいせんざん】、東にある小富士山の3カ所に分かれています。このうち、碧雲寺は仏教式のお墓ですが、大船山と小富士山の墓は儒教式【じゅきょうしき】のお墓です。
竹田市大字竹田
江戸時代に岡藩主中川家【おかはんしゅなかがわけ】のお城です。標高325mの丘の上に築かれており、周りは川と崖で囲まれています。明治時代の廃藩置県【はいはんちけん】後に建物は壊されましたが、石垣・櫓【やぐら】跡・門跡がよく残っています。
佐伯市弥生町大字上小倉
磨崖石塔【まがいせきとう】とは通常の石塔とは違い、崖や岩に彫り込まれた石塔です。刻まれた文章から、鎌倉時代〜室町時代にかけて、百ヶ日の供養か逆修のために彫られたようです。
中津市本耶馬溪町跡田1501
中津市羅漢寺に安置された500を超える石仏群です。釈迦【しゃか】とその弟子たちの像と、持っている道具までも石で作られているのが特徴です。中国から伝わった信仰が、石の彫刻となって表されています。
大分市下八幡1382
もともと柞原八幡宮に伝わったとされる仏像です。明治時代の神仏分離によって、大山寺に移されました。平安時代につくられたと考えられ、普賢延命菩薩像のなかでは最も古いものといわれています。
宇佐市南宇佐2859
宇佐神宮内の若宮神社にまつられている神像です。応神天皇【おうじんてんのう】の子どもたち五柱の神像です。それぞれの像が一つの木材から彫られていることや、衣の表現や顔の彫り方の特徴から、平安時代後期に作られたと考えられます。
大分市上野丘2丁目8-27 金剛宝戒寺
大分市の金剛宝戒寺【こんごうほうかいじ】に安置される大きな仏像です。興福寺の仏師【ぶっし】であった康俊【こうしゅん】がつくりました。高さは3メートル以上あり、九州に残る康俊の作品の中ではかなり大きいもので、技術の高さがうかがえます。
国東市国東町安国寺2245
室町幕府を開いた足利尊氏の像です。室町時代の前半に作られたとされ、明治時代に京都のお寺から国東市の安国寺に伝わりました。現存する作品では最古であることから、足利尊氏の姿に最も近いと考えられます。
豊後大野市朝地町鳥田1355
豊後大野市神角寺にある2体の金剛力士像です。守り神として、お寺の入り口の門に安置されています。たくましい筋肉の表現が特徴です。鎌倉時代に作られたと考えられ、数少ない九州の金剛力士像として貴重です。
大分市八幡987
大友氏から柞原八幡宮に贈られたと伝わるよろいかぶとです。かぶとの形から、海外の影響を受けたものだと分かります。神社だけでなく海外ともうまく付き合っていた大友氏の姿がうかがえます。
大分市八幡987 柞原八幡宮
柞原八幡宮【ゆすはらはちまんぐう】に伝わる仏像です。飛鳥時代に作られたと考えられています。銅でつくられた像に、金メッキが施されています。ポーズや衣の表現に珍しい特徴がみられます。
竹田市大字竹田2083番地 竹田市歴史文化館・由学館
豊後岡藩に伝わっていた、「キリシタンベル」とよばれる西洋の鐘です。もともと長崎の病院にあったと考えられますが、なぜか竹田にのこっていました。キリシタン関係の遺品として貴重なものです。
大分市大字上野865番地 大分市美術館
江戸時代の終わりごろ、田能村竹田はすぐれた南画【なんが】を数多くのこしました。これらの南画は、竹田の弟子であった帆足杏雨の家に伝わっていたものです。いまは大分市美術館で大切に保管されています。
宇佐市大字高森字京塚 大分県立歴史博物館
宇佐市天福寺【てんぷくじ】に伝わる3体1セットの仏像です。木の芯に縄を巻き付け、土をぬってつくられた塑像【そぞう】です。塑像の仏像はこわれやすく、天福寺の仏像は九州で一番残りがよいとされています。
竹田市大字戸上
竹田市にある、前方後円墳2基、円墳2基からなる古墳群です。大正時代に調査が行われ、銅鏡が出土したとされます。現在その銅鏡は残っていませんが、銅鏡が出土した古墳として重要です。