国指定 史跡
さいきじょうあと
佐伯城跡
佐伯市字城山ほか
国指定 史跡
さいきじょうあと
佐伯城跡
佐伯市字城山ほか
佐伯城は、慶長6年(1601)に入部した毛利高政によって番匠川【ばんじょうがわ】の河口付近にある八幡山(城山)に、翌年から築城された近世城郭です。現地には曲輪【くるわ】の石垣や登城道の石畳が保存されています。また、山体全体を保護するための石垣や、雨水や地下水の排水・調整機能のための池が残されています。
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佐伯城は、慶長6年(1601)に入部した毛利高政によって翌年から築城された近世城郭です。佐伯市内を流れる番匠川【ばんじょうがわ】の河口付近にあり、標高146mの八幡山(城山)の山頂部に本丸、二の丸、西出丸、北出丸等が、山麓に藩主が居住した三の丸が配置されています。現在の曲輪配置は築城当初まで、ほぼ遡るもので、現地には曲輪【くるわ】の石垣や登城道の石畳が保存されています。また、山体全体を保護するための雛壇状の石垣や、雨水や地下水の排水・調整機能を担った雄池【おにけ】・雌池【めんいけ】を造成し、江戸時代を通じて城郭全体を維持してきました。近世初頭に、中世山城の曲輪配置構造と近世城郭の築城技術を融合して築かれ、山体全体を維持してきた工夫が残る城郭として、我が国の近世城郭のあり方を知る上で貴重です。
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指定年月日 令和5年3月20日 -
管理団体 佐伯市