せんとうせきぶつ
千燈石仏
国見町千灯
せんとうせきぶつ
千燈石仏
国見町千灯
高さ70cm、幅160cmの石に彫られた阿弥陀来迎図【あみだらいごうず】です。来迎図とは、死ぬ間際の人を阿弥陀が迎えに来る様子を表した絵です。
仏様の光背【こうはい】を彫りくぼめることで、仏が浮き出でるよう見せています。
鎌倉時代から室町時代に作られたもので、国東半島に浄土教信仰が浸透していたことを示します。
光背(こうはい)
仏像の後には、板のようなものがついています。これは、光をあらわしたものです。仏教では、ブッダ(お釈迦さま)がさとりを開いた時、かがやきはじめたといいます。光背は、そのかがやきをあらわしたものです。ただ、明王は、怒りを示す炎をデザインしています。
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光背【こうはい】
光背(こうはい)
仏像の後には、板のようなものがついています。これは、光をあらわしたものです。仏教では、ブッダ(お釈迦さま)がさとりを開いた時、かがやきはじめたといいます。光背は、そのかがやきをあらわしたものです。ただ、明王は、怒りを示す炎をデザインしています。
もっとくわしく
幅160cm、高さ70cm、厚さ50cm の1枚石に薄肉彫した弥陀来迎図です。
右下の入母屋造屋形内【いりもやづくりやかたうち】に合掌僧形人物像【がっしょうぞうがたじんぶつぞう】と、それにら向って下って来る阿弥陀如来【あみだにょらい】、奏楽【そうがく】・舞踊【ぶよう】の諸菩薩が彫られています。
阿弥陀【あみだ】・諸菩薩とも光背を彫りくぼめ、像が浮き出すように見える手法をとっています。
脇に不動明王と多聞天を配するのは、豊後の磨崖仏に共通する特徴です。
鎌倉時代末から室町時代にかけての作で、六郷満山【ろくごうまんざん】に浄土教信仰が浸透してきたことを示す資料です。
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指定年月日 1957/3/26 -
管理団体 国東市