どうぞのこうしんとうにき
堂園庚申塔二基
豊後高田市夷
どうぞのこうしんとうにき
堂園庚申塔二基
豊後高田市夷
道園地区にある江戸時代の庚申塔【こうしんとう】と関係資料です。記録から少なくとも庚申待上講【こうしんまちあげこう】が約270年間継承されてきていることや、庚申塔への信仰が現在もなお生き続けていることがわかる点で貴重です。
庚申塔(こうしんとう)
庚申信仰にちなみ造立された塔で、塔の中央には青面金剛【しょうめんこんごう】と使いの三猿や猿田彦神【さるたひこのかみ】などが刻まれています。
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庚申塔【こうしんとう】
庚申塔(こうしんとう)
庚申信仰にちなみ造立された塔で、塔の中央には青面金剛【しょうめんこんごう】と使いの三猿や猿田彦神【さるたひこのかみ】などが刻まれています。
もっとくわしく
道園地区は東西に分かれていて、東道園と西道園は別の庚申塔【こうしんとう】を祀っています。庚申待上講【こうしんまちあげこう】は合同で行い、庚申塔は東道園が祀っています。庚申塔は宝暦3年(1753)銘の「猿田彦大神像庚申塔」で、その横に折損した享保14年(1729)銘の「青面金剛像庚申塔」が横倒しになっています。庚申待上講の関係資料として、宝暦3年(1753)の「庚申待上次第巡帖」をはじめとする帳面類があります。
道園の庚申塔は、仏式の青面金剛像から神式の猿田彦大神像への変遷を伝える貴重な資料で、庶民信仰の変遷を如実に物語るものです。また、庚申塔建立以来の関係文書が伝えられていることも重要です。さらに、記録から庚申待上講が少なくとも約270年間継承されてきたことが判明し、道園の庚申塔への信仰が現在もなお生き続けていることがわかる点で貴重です。
庚申塔(こうしんとう)
庚申信仰にちなみ造立された塔で、塔の中央には青面金剛【しょうめんこんごう】と使いの三猿や猿田彦神【さるたひこのかみ】などが刻まれています。
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指定年月日 令和3年3月2日 -
附 庚申待上講関係資料一式【こうしんまちあげこうかんけいしりょういっしき】