国指定 史跡
おかはんしゅなかがわけぼしょ
岡藩主中川家墓所
竹田市会々・久住町大字有氏、豊後大野市緒方町寺原
国指定 史跡
おかはんしゅなかがわけぼしょ
岡藩主中川家墓所
竹田市会々・久住町大字有氏、豊後大野市緒方町寺原
江戸時代に岡藩(現竹田市周辺)の藩主をしていた中川家のお墓です。
場所は、岡城城下町の碧雲寺【へきうんじ】、城下町の北にある大船山【たいせんざん】、東にある小富士山の3カ所に分かれています。
このうち、碧雲寺は仏教式のお墓ですが、大船山と小富士山の墓は儒教式【じゅきょうしき】のお墓です。
もっとくわしく
文禄3年(1594年)から明治維新に至るまで、岡藩の藩主を務めた中川家の墓所です。
この中川家の墓所は、岡城城下町の碧雲寺、城下北方の大船山、そして城下東方の小富士山の3か所にあります。
初代秀成、2代久盛、4代久恒、5代久通、6代久忠、9代久持、11代久教の墓は碧雲寺に、3代久清の墓は大船山中に、8代久貞の墓は小富士山中に営まれています。
このうち、大船山と小富士山の墓所は、自然に囲まれた儒教式の墓です。
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指定年月日 1997/9/2