県指定 史跡
ふないじょうあと
府内城跡
大分市荷揚町1201
県指定 史跡
ふないじょうあと
府内城跡
大分市荷揚町1201
現在の大分市付近を治めていた府内藩の城です。慶長2年(1597)に築城が始まり慶長7年に本丸・二の丸・三ノ丸が完成しました。現在は、天守台他石垣と、江戸時代中の災害後に再建された宗門櫓・人質櫓(県指定)等が残っています。
もっとくわしく
慶長2年(1597)に福原直高が築城を開始し、慶長7年(1602)に竹中重利によって本丸・二の丸・三ノ丸が完成しました。大分川河口付近の海岸部に作られた城で、別名荷揚城・・白雉城と呼ばれていました。竹中氏による築城後、歴代の府内藩主の居城として使われます。寛保3年(1743)の大火により、城内の建物が全焼しましたが、その後に再建された人質櫓・宗門櫓(県指定)が現在も残っています。
明治時代に大分県庁となり、現代は大分城址公園として、天守台他石垣と一部建物が現存しています。
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指定年月日 昭和34年3月20日