ながひろもんじょ
永弘文書
宇佐市大字南宇佐
ながひろもんじょ
永弘文書
宇佐市大字南宇佐
荘園【しょうえん】があった時代、室町時代まで番長職【ばんちょうしき】をつとめた家に伝わった古文書群【こもんじょぐん】です。室町時代までの、宇佐神宮の祭礼や行事、あるいは荘園や神宮の運営の様子がわかります。
荘園(しょうえん)
簡単にいえば、寺社・貴族の所有地です。平安時代から、各地で生まれました。
以後、室町時代後半に至るまで、日本の社会や経済のしくみを形づくる基盤となりました。
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荘園【しょうえん】
荘園(しょうえん)
簡単にいえば、寺社・貴族の所有地です。平安時代から、各地で生まれました。
以後、室町時代後半に至るまで、日本の社会や経済のしくみを形づくる基盤となりました。
もっとくわしく
番長職【ばんちょうしき】は、神へのお供え物が調理された下宮【げぐう】(御炊殿【みけでん】)の運営をにないました。お供え物の準備には、祭礼行事のことだけでなく、領地の荘園【しょうえん】からの収納状況などを知ることも大切であり、番長職は祭礼・行事をはじめ、八幡宮の財政などに関わりました。そのため、この古文書群には、荘園の支配に関わる古文書も多くあります。国の重要文化的景観に選定された、豊後高田市の小崎地区【おさきちく】を含む田染荘【たしぶのしょう】に関する古文書が、まとまって伝わっています。
点数は全体で3000点をこえ、中世の宇佐八幡宮だけでなく、周辺の中津や宇佐・国東地域の歴史をたどる上でも貴重な記録です。
荘園(しょうえん)
簡単にいえば、寺社・貴族の所有地です。平安時代から、各地で生まれました。
以後、室町時代後半に至るまで、日本の社会や経済のしくみを形づくる基盤となりました。
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指定年月日 昭和35年3月22日 -
記号番号 書第5号 -
種別 書跡・典籍および古文書 -
所有者 個人