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指定区分していくぶん

県指定/有形文化財/美術工芸品(書跡・典籍および古文書)

時代じだい

室町時代〜明治時代

エリア

大分市

県指定 有形文化財

こうやさんほんがくいんもんじょ

高野山本覚院文書

大分市王子西町14-1 大分県立先哲史料館

県指定 有形文化財

こうやさんほんがくいんもんじょ

高野山本覚院文書

大分市王子西町14-1 大分県立先哲史料館

弘法大師【こうぼうだいし】へのおもいと聖地・高野山へのあこがれを知ることができます。
豊後国【ぶんごのくに】と高野山とのつながりを伝える古文書群【こもんじょぐん】で、たとえば豊後国守護の大友氏は高野山で亡き人の菩提を弔いました。また、江戸時代以後は、豊後国のさまざまな人々が高野山へおまいりしたことがわかります。

もっとくわしく

和歌山県の高野山は、空海【くうかい】(774〜835)が開きました。
高野山には、お坊さんが暮らす、子院【しいん】がいくつもありました。子院は、高野山と各地を結ぶ窓口となり、たとえば西生院【さいしょういん】は豊後国の守護大友氏とつながりがありました。しかし、江戸時代に西生院は火災で焼け、本覚院と合併しました。この本覚院は、もともと臼杵藩主稲葉氏【いなばし】と結びつきがあり、西生院と合併した後は、豊後国全体の窓口となりました。
この古文書群は、西生院と本覚院に伝わった古文書で、点数は1946点。大友宗麟【おおともそうりん】(1530〜87)からの手紙や江戸時代に豊後国の人々が高野山へおまいりした記録などがあり、高野山と豊後国のつながりを伝える大切な記録です。

  • 指定年月日していねんがっぴ
    2017/3/7
  • 記号番号きごうばんごう
    書第32号
  • 種別しゅべつ
    書跡・典籍および古文書
  • 所有者しょゆうしゃ
    大分県