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杵築市大田小野
石を板のように薄く長く加工したものを「板碑」とよびます。てっぺんを三角形にし、上の方に横線を刻んだものもあります。この板碑は高さが約1.4mあり、碑の正面上部には大日如来の種子【しゅじ】が大きく彫られています。
豊後大野市三重町宮野
神社などにある石灯籠のようですが、屋根の下に、仏さまを刻んだ部分があり、これが石幢の特徴です。また、屋根は四角形や六角形、円形のものがあり、さまざまなデザインの石幢があります。この石幢は、大きな笠が特徴です。
臼杵市大字吉小野
神社などにある石灯籠のようですが、屋根の下に、仏さまを刻んだ部分があり、これが石幢の特徴です。また、屋根は四角形や六角形、円形のものがあり、さまざまなデザインの石幢があります。この石幢は基礎は八角形で、それ以外は円形です。
豊後大野市三重町秋葉
神社などにある石灯籠のようですが、屋根の下に、仏さまを刻んだ部分があり、これが石幢の特徴です。また、屋根は四角形や六角形、円形のものがあり、さまざまなデザインの石幢があります。龕【がん】以外は円形をしています。龕は八角形で、地蔵菩薩などが彫られています。
宇佐市院内町滝貞
神社などにある石灯籠のようですが、屋根の下に、仏さまを刻んだ部分があり、これが石幢の特徴です。また、屋根は四角形や六角形、円形のものがあり、さまざまなデザインの石幢があります。この石幢は、先端の宝珠【ほうじゅ】以外は、断面がいずれも八角形です。
竹田市久住町白丹
宝塔とは、円柱に屋根をのせたデザインで、屋根の上には仏教の塔のジンボルである相輪【そうりん】がたちます。木や金属、石など、さまざまな素材でつくられました。この宝塔は、西法寺跡の水田の南側に立っている高さが2.7mほどの大きな宝塔です。大分県全域に分布する虎御前に関する伝承を持つ石塔のひとつです。
豊後高田市田染平野
国東半島一帯には、独特のデザインの石塔があります。「宝塔」という石塔をもとにしたもので、「国東塔」と呼ばれます。その国東塔を岩の壁に彫っているのが、この福寿寺薬師堂磨崖国東塔です。また、塔身に刻まれた文字から、室町時代につくられたことが分かります。
臼杵市大字深田
日吉神社の鳥居で、臼杵磨崖仏【うすきまがいぶつ】入口付近の田んぼの中に立っています。下部は地面に埋まっており、全体的にずんぐりしとした重量感に溢れた印象があります。南北朝時代または室町時代前期につくられたと考えられます。
玖珠郡九重町松木
塔婆【とうば】とは供養のために建てられる石の塔のことです。この角塔婆は高さが1.6mあり、塔身の四面には種子【しゅじ】が彫られています。墨で書かれた文字もあるようですが、読むことはできません。
玖珠郡九重町松木1362-1
石を板のように薄く長く加工したものを「板碑」とよびます。てっぺんの三角形にし、上の方に横線を刻んだものもあります。この板碑は高さが85㎝と小ぶりで、宝八幡宮国東塔と並んで立っています。梵字で六地蔵をあらわした板碑で、県内でも珍しいものです。墨書から室町時代に造られたことが分かります。
豊後高田市小田原
石を板のように薄く長く加工したものを「板碑」とよびます。てっぺんを三角形にし、上の方に横線を刻んだものもあります。この板碑はまさにその形をしていて、高さは約2mあります。種子【しゅじ】が彫られていて、その丁寧な造りから鎌倉時代末期に造られたと考えられます。
豊後大野市朝地町市万田
神社などにある石灯籠のようですが、屋根の下に、仏さまを刻んだ部分があり、これが石幢【せきどう】の特徴です。また、屋根は四角形や六角形、円形のものがあり、さまざまなデザインの石幢があります。この石幢は、全体の断面が四角形です。
杵築市大田永松106
宝篋印塔とは、宝篋印塔陀羅尼【ほうきょいんとうだらに】というお経を納めた塔で、中国の塔の影響から全体的に段が多いデザインとなっています。この宝篋印塔は高さが約3mあります。銘はありませんが、その造りから南北朝時代末期か室町時代初期に造られたと思われます。
宝篋印塔とは、宝篋印塔陀羅尼【ほうきょいんとうだらに】というお経を納めた塔で、中国の塔の影響から全体的に段が多いデザインとなっています。大内家墓地の中にあるこの宝篋印塔は高さが約2mあり、70基以上の石造物に取り囲まれています。大内家の重要人物のお墓と思われます。
国東半島一帯には、独特のデザインの石塔があります。「宝塔」という石塔をもとにしたもので、「国東塔」と呼ばれます。この国東塔は高さが約1.7mあり、球の形をした塔身には墨の跡が見られますが、種子【しゅじ】以外の文字は読むことはできません。南北朝時代から室町時代初期のものと考えられています。
豊後高田市田染真木
国東半島一帯には、独特のデザインの石塔があります。「宝塔」という石塔をもとにしたもので、「国東塔」と呼ばれます。この国東塔は、南北朝時代から室町時代初期に造られたと考えられていて、高さは約3mあります。相輪の一部が失われている以外は全て残っています。
宇佐市金丸
宝篋印塔とは、宝篋印塔陀羅尼【ほうきょいんとうだらに】というお経を納めた塔で、中国の塔の影響から全体的に段が多いデザインとなっています。この宝篋印塔はその地名から名前がつけられました。四角い形をした塔身の4つの面には、仏さまをあらわす種子【しゅじ】が彫られています。
神社などにある石灯籠のようですが、屋根の下に、仏さまを刻んだ部分があり、これが石幢【せきどう】の特徴です。また、屋根は四角形や六角形、円形のものがあり、さまざまなデザインの石幢があります。この石幢は、銘文【めいぶん】から死後の冥福を祈るために造られたことがわかります。