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豊後大野市清川町六種
宝塔とは、円柱に屋根をのせたデザインで、屋根の上には仏教の塔のシンボルである相輪(そうりん)がたちます。木や金属、石など、さまざまな素材でつくられました。この宝塔は、高さが約2mあります。銘文【めいぶん】があり、嘉暦年間 (1326 ~ 28)につくられました。
日田市中津江村合瀬 津江神社
津江神社のスギ並木とウラジロガシ林とモミ・ツガ林からなる境内林です。地域の鎮守の森として、また、日田スギのいわば元祖である原木として大変貴重です。
豊後高田市夷
国東半島一帯には、独特のデザインの塔があり、「国東塔【くにさきとう】」とよばれています。この塔は、上の方がなくなっていますが、高さは2.34mあり、大きな国東塔です。
日田市天瀬町馬原
高塚地蔵尊の境内に、霊木【れいぼく】として植栽された推定樹齢1,000年をこえるイチョウの巨樹です。イチョウはナギやソテツと同じ雌雄異株【しゆういしゅ】の木で、高塚地蔵のイチョウは雄株です。
宇佐市大字佐野611 光明寺
石を板のように薄く加工したものを「板碑」とよびます。てっぺんが三角形で、上の方に2本の線が刻まれています。1つの石に2つの板碑が並んで刻まれています。このように、1つの石に複数の板碑を刻んだものを連碑【れんぴ】とよびます。写真にあるように、光明寺には連碑が2セットが伝わっています。
日田市天瀬町馬原 鞍形尾神社
ウラジロガシを主体にして、イチイガシの巨樹【きょじゅ】も一部みられる、まとまりのある貴重【きちょう】な自然林です。
豊後高田市梅木
石を板のように薄く加工したものを「板碑」とよびます。てっぺんが三角形で、上の方に二本の線が刻まれています。この板碑は、1つの石の両面を加工して板碑を刻んでいます。このような板碑は、両面板碑とよばれます。
豊後大野市犬飼町黒松
宝塔は、円柱に屋根をのせたデザインで、屋根の上には、塔のシンボルである相輪【そうりん】があります。この塔は、高さ2.53mの大型の塔です。塔身【とうしん】に墨で書いた銘文【めいぶん】があり、貞和2年(1348)に建立されたことがわかります。
豊後高田市西真玉3105 真玉寺
国東半島一帯にあります。屋根の下に、地蔵菩薩等を彫った部分があります。このようなデザインの石塔は、大分県の独特のものといえます。この石殿は、真玉寺の境内にあり、細やかな表現がされている屋根の下の龕【がん】には、六地蔵が彫られています。
宇佐市院内町小坂
5つのパーツにわかれる塔です。下のパーツから、地輪【ちりん】・水輪【すいりん】・火輪【かりん】・風輪【ふうりん】・空輪【くうりん】といいます。それぞれのパーツは、三角形・丸・四角形など、いろいろな形をしています。地輪に仏の種子【しゅじ】と元徳3年(1331)の年号が刻まれています。
もとは、近くのお寺の跡にあったものを、草三郎大神宮境内に移したと伝えられます。石造五輪塔婆は大分県内では数が少なく珍しいです。横には、同時期のものとみられる角塔婆があります。
中津市大字加来
法垣遺跡は縄文時代の遺跡で、竪穴住居【たてあなじゅうきょ】や墓などが確認されています。また、縄文土器や土偶【どぐう】、石器などが出土しています。竪穴住居群などは、道の駅なかつ内の遺跡公園として整備され、一般公開されています。
中津市大字相原
相原廃寺跡は、飛鳥時代に建てられた古代寺院跡で、建物の基礎とした盛り土(基壇【きだん】)と柱を置く石(礎石【そせき】)2つが残っています。飛鳥時代の寺院跡が一部ではありますが現存している貴重な事例です。
豊後高田市佐野
カワラガマ遺跡は、奈良時代〜平安時代(8世紀末〜9世紀前半)にかけて瓦を生産していた窯跡【かまあと】です。豊後高田市の伝薬王寺跡や宇佐弥勒寺跡で出土した瓦と同じ文様の瓦があることから、近隣の寺院や宇佐の古代寺院で使用する瓦を作っていたことがわかります。
中津市耶馬渓町大字中畑1422 正平寺
鳥居は、神社の参道に建てられています。この鳥居は、正平寺【しょうへいじ】というお寺にあります。お寺に鳥居。仏と神は、一体の存在とする神仏習合【しんぶつしゅうごう】の考えが表現されています。 また、この鳥居は、梵字【ぼんじ】が刻まれていて、まさに神仏習合を物語る文化財です。
玖珠郡玖珠町大字古後
野平のミツガシワ自生地は、周辺の湿地植物とともに西日本の潜在する湿地植物社会のモデルとなる貴重な自生地です。
大分市永興10 臨済寺
臨済寺【りんざいじ】に安置されている仏像です。つくられたのは平安時代と考えられますが、像に書かれた文字から、江戸時代に修理されたことがわかります。
杵築市大田沓掛1361 宝陀寺
無縫塔【むほうとう】は、上部が丸い形をしている石塔です。丸い形をしているところが塔身【とうしん】で、このようなデザインの塔は、お坊さんのお墓に用いられました。この塔は、宝陀寺を開いた悟庵智徹【ごあんちてつ】?~正平20年または貞治5年(1366)のお墓と伝えられています。