ホーム » 検索結果
豊後大野市三重町井迫
丈夫でよく切れると有名な豊後刀。この薙刀は、平鎮教という刀工によって室町時代につくられました。大友宗麟の娘が嫁いだ際にもたらされたものと伝わっています。
杵築市奈多229 奈多宮
奈多宮に伝わる神像のうち、6躯は県指定を受けています。それぞれ彫り方や衣の表現、顔つきが違い、作者や時代の差がみられます。
豊後大野市犬飼町高津原
石幢とは、断面が六角形や八角形の石柱と笠、宝珠などからつくられる石塔です。この石幢は、豊後大野市犬飼町高津原地区の古い墓地の入り口付近に立っています。銘文があり、室町時代に、生前供養のためにつくられたことがわかります。
大分市森
丈夫でよく切れると有名な豊後刀。この刀は、室町時代に平長盛という刀工が作った豊後刀の中でもすぐれた名刀です。
豊後大野市三重町市場
かつて豊後大野市三重町では、甲斐本鍛冶という有力な刀工集団が刀をつくっていました。この太刀は、刃の長さが95センチ以上ある大きなもので、神社に奉納するためにつくられたと考えられます。
豊後高田市香々地
国東半島一帯には、独特のデザインの石塔があります。「宝塔」という石塔をもとにしたもので、「国東塔」とよばれます。この塔は、つくられた年がわかる大型の国東塔で、国東塔の歴史を知る上で基準となる塔のひとつです。
国東市国見町岐部
国東市岐部に所在する仏像です。両手に仏具を持っているのが地蔵菩薩像、手を合わせているのが比丘尼像です。2つとも背中に銘文がのこっており、室町時代につくられたことが分かります。
豊後高田市田染真木
地面から突き出た大きな岩に、10体の仏が刻まれています。そして、この岩を覆うように、お堂(薬師堂)が建てられています。岩に仏を刻んだ、この場所は「いのりの空間」であったとみられます。
豊後大野市大野町片島1754 上津神社
よく目にする鳥居とプロポーションが異なります。全体に低めで、太くてまるい柱、鳥居のいちばん上の横にのびる笠木【かさぎ】と島木【しまぎ】もそりがない、これらは古い時代の鳥居の特徴です。
佐伯市弥生床木
神社などにある石灯籠のようですが、屋根の下に、仏さまを刻んだ部分があり、これが大きな特徴です。また、屋根は四角形や六角形、円形のものと、さまざまなデザインがあります。この石幢【せきどう】は、屋根や龕【がん】など全体の断面が四角形です。
佐伯市大字狩生
狩生新鍾乳洞は昭和34年に発見された鍾乳洞です。狩生駅より2km北西、王子神社の西方にあたり、鶴見岳の中腹にある数10mの断崖の中ほどにあるため、自由に見ることはできません。
中津市大字大貞 薦神社
三角池は薦神社【こもじんじゃ】境内にある池で、御澄池ともいわれます。池そのものがご神体です。水深1〜1.5m。多くの水生植物や湿地植物が多く自生しています。
佐伯市城山
「オオイタサンショウウオ」は大分県・熊本県・宮崎県に生息する日本固有種で、佐伯市で発見された個体から新種と認定されました。以前は城山の雌池、雄池、三の丸の池などに多くの産卵が確認されていましたが、環境変化により個体数も減少しています。
竹田市久住町久住
ツクシボダイジュは、くじゅう火山群一帯にのみ自生する珍しい樹木です。樹高約20m、胸高直径約1mで、県内ではこれまで確認されているものの中では最大です。
佐伯市米水津大字浦代浦
急斜面にウバメガシ林で、ノシランやハドノキなどの暖かい地域に自生する植物を含んでいます。
杵築市山香町大字山浦
塔婆とは供養のために建てられる石の塔のことです。この角塔婆は14世紀につくられたもので、銘文から建立された経緯や誰が建てたのか分かる貴重な資料です。
ビャクシンは、イチョウやソテツと同じ雌雄異株【しゆういしゅ】の木です。まれに雌株と雄株に分かれず1つの株のものもあります。横島のビャクシンはシャリンバイ、トベラなどの低木とともに岩の露出する東岸の絶壁【ぜっぺき】に生育します。
豊後高田市是永町1番地1
若宮八幡神社には、江戸時代に島原藩領となった時に造営された本殿・申殿【もうしでん】・唐門・西門が残されています。本殿は、素朴な彫物やすべてケヤキ材を使用しているなど、建築時の建物の特色を見ることができます。