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大分市本館崎
築山古墳から出土した銅鏡や南海産の貝の腕輪【うでわ】、鉄の矢じりなどの武器、鉄の鎌や銛【もり】などの農工具です。貝の腕輪は女性の人骨にはめられた状態で発見されました。
国東市国見町野田 個人
国東半島一帯には、独特のデザインの石塔があります。「宝塔」という石塔をもとにしたもので、「国東塔」とよばれます。この国東塔は高さは1.68mで、相輪が一部欠損しています。塔身には多数の銘文が刻まれており、その中に「正平七<?>(1352)二月廿九日云々」と記されています。
豊後大野市三重町本城 個人
大字本城上久保の台地、不二庵跡にあります。一部欠損していますが、高さは1.6mあり塔身に種子が刻まれています。銘文から、暦応【りゃくおう】3年(1340年)2月彼岸中日に、良円が現世と来世の安楽を願って造立したようです。
豊後大野市三重町赤嶺 個人
5つのパーツにわかれる塔です。下のパーツから、地輪【ちりん】・水輪【すいりん】・火輪【かりん】・風輪【ふうりん】・空輪【くうりん】といいます。それぞれのパーツは、三角形・丸・四角形など、いろいろな形をしています。県指定史跡「道ノ上古墳」の後円部【こうえんぶ】の頂上にあります。
国東市国東町見地 個人
石を板のように薄く加工したものを「板碑」とよびます。てっぺんが三角形で、仏をあらわす種子【しゅじ】が刻まれたり、墨で書かれています。この板碑は、文殊菩薩【もんじゅぼさつ】の種子【しゅじ】の「マン」や正中2年(1325)の年号なども刻まれています。
国東市国東町深江
石を板のように薄く加工したものを「板碑」とよびます。てっぺんが三角形で、仏をあらわす種子【しゅじ】が刻まれたり、墨で書かれています。この板碑は、上部に阿弥陀如来【あみだにょらい】を示す種子【しゅじ】の「キリーク」を刻んでいて、阿弥陀如来への信仰を示す石造物のひとつです。
由布市挾間町挾間
県指定史跡「挾間氏五輪塔群」の内の3基の五輪塔です。1基は康永2年(1343)銘がある一方で、残りの2基にはありませんが種子【しゅじ】が薬研彫り【やげんぼり】で刻まれています。いずれも、挾間氏の墓と伝わります。
別府市大字別府字野口原3030番地16 別府市美術館
別府市美術館の敷地内にある笠塔婆です。高さは1.8mで、上部に釈迦を示す種子【しゅじ】の「バク」、弥陀【みだ】を示す「キリーク」を平底彫りし、その下の中央に文永6年(1269)の年号と、造立者【ぞうりゅうしゃ】として「広増」という僧侶の名前が入った銘文【めいぶん】が刻まれています。
由布市庄内町長野
永松氏宅南側の古い墓地にある、高さは1.65mの重制石幢【じゅうせいせきどう】です。銘文【めいぶん】には、何者かの死を示す記述と文明18年(1486)の年号が刻まれているため、この時期に建立されたようですが、造立年か没年かは不明です。少なくとも追善供養【ついぜんくよう】のために建立されたようです。
宇佐市安心院町町山蔵484 大年神社
石を板のように薄く加工したものを「板碑」とよびます。てっぺんが三角形で、仏をあらわす種子【しゅじ】が刻まれたり、墨で書かれています。大年社には2基の板碑があり、銘文【めいぶん】等から、1つは人々が集まり、みんなでつくった板碑であることがわかります。
豊後高田市田染蕗2395番地 富貴寺
富貴寺参道登り口の左手に立っています。高さ1.34mで、碑身の上部に胎蔵界大日を示す種子【主事】である「アーク」が大きく薬研彫りされています。この板碑は、1361年頃に祐禅という僧侶の7回忌に造立したことが銘文【めいぶん】として記されています。
竹田市大字竹田寺町 願成院
願成院【がんじょういん】本堂は竹田市に現存する最も古い建物です。江戸時代のはじめに、岡藩二代藩主中川久盛【ひさもり】により建立されました。江戸時代はじめの建築として貴重なものです。
豊後高田市田染蕗
富貴寺境内は、平安時代後期に建立された富貴寺大堂【ふきじおおどう】(国宝)を中心とした寺院です。六郷山寺院の構造や平安時代以降の浄土信仰【じょうどしんこう】を考える上で貴重な遺跡です。
日田市小迫
弥生時代から古墳時代にかけての遺跡で、環濠集落【かんごうしゅうらく】と豪族居館跡【ごうぞくきょかんあと】がみつかりました。豪族居館跡は、方形の壕【ほり】に囲まれていて、その内部から建物跡がみつかっています。
国東市国東町安国寺
弥生時代の集落【しゅうらく】(ムラ)の跡です。集落の中にある溝から大量の木で作った道具や建物の材料が見つかり注目を集めました。
中津市
福沢諭吉は、『学問のすゝめ(すすめ)』などの著作で有名な明治地代の思想家です。中津で過ごした時の茅葺き【かやぶき】屋根の家や瓦葺き【かわらぶき】の土蔵が残されています。
佐伯市若宮町
弥生時代の貝塚と集落跡で、貝やイノシシ・シカなどの獣骨、稲作に使用する石庖丁【いしぼうちょう】などが出土しています。海や山の幸、稲作や農耕によって生活を維持した海辺の民の生活がわかる貴重な遺跡です。
国東市安岐町富清
三浦梅園は、江戸時代の人間と自然の関係を考えた哲学者で、条理学【じょうりがく】という新しい学問を打ち立てました。梅園も住んだ茅葺き【かやぶき】屋根の家屋や梅園の墓が残されています。