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豊後高田市新栄
豊後高田市新栄にある帆円墳に小さな方形の造り出しがついている、帆立貝形【ほたてがいがた】とよばれる古墳です。明治時代に発掘されており、銅鏡や玉類などの副葬品【ふくそうひん】が見つかっています。
豊後高田市草地
6世紀ごろに作られたと考えられる前方後円墳です。大きさは全長60mほどです。発掘調査では、たくさんのハニワが発見されています。
国東市安岐町大字西本
小さな釈迦如来の像です。大分県の仏像は木でつくられたものが多く、金属でできた像はあまり例がありません。髪の毛には何も刻まず、シンプルなデザインの仏像です。
宇佐市南宇佐2859 宇佐神宮
姿なき神が、人を通して伝える言葉、神の声を託宣【たくせん】といいます。 八幡宇佐宮御託宣集は、正和2年(1313)に弥勒寺【みろくじ】のお坊さん・神吽【じんうん】が、託宣や歴史書をもとにまとめたもので、この記録は写本【しゃほん】のひとつです。
杵築市奈多2289 八幡奈多宮
大分市八幡987 柞原八幡宮
縁起は、物事の由来や由緒を意味します。全4巻のうち、1巻は上野国【こうずけのくに】(いまの群馬県)での八幡神の由緒を記したものです。室町時代の九州と関東との交流を物語る記録です。
ヒノキの板に刻まれた、レリーフの像です。四天王は、仏教で世界の中心という須弥山【しゅみせん】で、東西南北を守っています。多聞天は北を守り、単独でまつられる時は毘沙門天【びしゃもんてん】とよばれます。
クスの板に刻まれた、レリーフの像です。明王は、どのような人でも仏教に導こうとする存在で、怖い表情をしています。このうち、不動明王は日本で信仰されました。
津久見市上青江
津久見のミカン栽培の歴史のシンボルで、樹齢800年余りといわれるミカンの木です。日本に現存している柑橘類【かんきつるい】の中では、最も古い木とされています。
東国東郡姫島村
黒曜石は火山の溶岩が急激に冷やされたことにより生まれた天然のガラスです。学名はobsidian。日本では黒い色が多いため黒曜石とよびますが、世界には赤や褐色など様々な色の黒曜石があります。姫島の火山活動を物語る貴重な場所です。
大分市庄ノ原
大分市にある前方後円墳で、大分市の中では最も古いと考えられます。古墳の周りには周濠がめぐっています。後円部からは、石を組み合わせて作ったひつぎが見つかっています。
大分市王子西町14-1 大分県立先哲史料館
豊臣秀吉がおこなった「太閤検地」【たいこうけんち】。この時に作成された検地帳の写【うつし】と江戸時代はじめの検地帳がつたわります。最初の写真2枚は、臼杵の「惣町屋鋪」【そうまちやしき】の検地帳です。当時の臼杵城下の町の様子を知ることができ、貴重です。
豊後大野市大野町桑原
豊後大野市大野町にある、全長約45mの前方後円墳です。後円部からは、石のひつぎが見つかっています。古墳の形や出土した遺物から、古墳時代前期につくられたと考えられています。
中津市本耶馬渓町曽木
夜空にうかぶ北極星(北斗七星とする説もあります)を、仏教では妙見菩薩として信仰しました。妙見菩薩は「星の仏さま」とよばれます。 この像は平安時代の作とみられますが、「星の仏さま」の像は、大分県内でもあまり例がない像です。
日田市大日町
高さが50センチほどの室町時代につくられた仏像です。もともと日田市の安養寺にありましたが、大友氏の兵火で寺が焼け、像は持ち出されたと伝わっています。
大分市賀来
大分市にある古墳です。石室の中に、大きな石の棺が置かれています。6世紀後半頃につくられたと考えられます。
佐伯市大字上岡
佐伯市上岡でまつられている3体の仏像で、平安時代につくられたと考えられます。当時の上岡地域をおさめた佐伯氏の影響でつくられました。