ホーム » 検索結果
中津市耶馬溪町大字宮園
雲八幡神社の夏祭りである「おんばらい大祭」の中で毎年7月29日に奉納される民俗芸能です。宮園楽は河童封じ【かっぱふうじ】の楽の典型例として貴重です。
津久見市津久見浦
各自治会において盆供養踊り【ぼんくようおどり】として実施されるとともに、「津久見扇子踊り大会」が毎年8月盆過ぎの土曜日につくみん公園で開催されています。
玖珠郡玖珠町大字古後
大御神社の秋の大祭で奉納され、毎年10月の第4日曜日に実施する行事です。男の子4人が河童(コモラシ)の姿になり、氏子総勢約70名がきれいな衣装をまとい、河童封じの楽といわれる楽を踊ります。
中津市
8月の最終の土・日に中津市相原の八幡鶴市神社を中心に行われる大規模な行事です。たくさんの色鮮やかな花傘鉾【はなかさぼこ】が長い行列となって進みます。
国東市国東町赤松 地区
高さは1.35mで、板碑の両面に種子【しゅし】が刻まれた板碑です。このような板碑を両面板碑【りょうめんいたび】と呼び、国東半島ではあまりみられません。正中3年(1326)の年号が刻まれていて、鎌倉時代に建てられた板碑です。
宇佐市下時枝237 善光寺
石を板のように薄く加工したものを「板碑」とよびます。てっぺんが三角形で、仏をあらわす種子【しゅじ】が刻まれたり、墨で書かれています。この板碑は、高さが1.95mで、銘文【めいぶん】から、建武4年(1337)につくられたことがわかります。板碑のうつりかわりを知るうえで基準となるものです。
杵築市大田沓掛
鎌倉時代、田原別符【たわらべふ】(現杵築市大田付近)を拠点とした田原氏一族の墓と伝えられています。高さ174cmで四方に種子【しゅじ】が刻まれた五輪塔を中心に、鎌倉時代〜室町時代につくられた五輪塔・宝篋印塔【ほうきょういんとう】・宝塔【ほうとう】などが30基あまり並んでいます。
杵築市大田小野
元応3年(1321)の年号がある国東塔(国指定重要文化財)をはじめ、鎌倉時代〜室町時代の国東塔・五輪塔が100基近く並び立っています。このほかに、独特な板碑もあり、中世の石造物が一ヶ所に集中する貴重な史跡です。
国東市安岐町明治
毎年旧正月15日に諸田山神社境内で田植え前に行われる行事です。田植えなどをユーモラスな所作で再現し、五穀豊穣や子孫繁栄を願います。
杵築市奈多
奈多八幡宮で毎年4月5日に行われる行事です。早乙女が、田植え唄を交互に歌いながら、田植えの所作を行います。
杵築市山香町内河野
高さ2.45mで、元々は大谷山最大寺にあったものを、同寺がなくなった後の昭和15年に、現在の場所に移したと伝えられます。塔身に応安5年(1372)の年号が刻まれています。
宇佐市安心院町佐田 佐田神社
石を板のように薄く加工したものを「板碑」とよびます。てっぺんが三角形で、仏をあらわす種子【しゅじ】が刻まれたり、墨で書かれています。佐田神社境内にあった板碑などが1ヶ所に集められ、向かって右端の角塔婆【かくとうば】と向かって右から3番目の板碑が大分県指定文化財に指定されています。
臼杵市臼杵91
時期は諸説ありますが戦国大名大友義鎮【おおともよししげ】が築城し、江戸時代には臼杵藩藩主の居城として利用されました。現在は埋め立てられて陸続きですが、臼杵湾内の小島丹生島にあった城でした。卯寅口門脇櫓【うとのぐちもんわきやぐら】・畳櫓・空堀・石垣等が残存しています。
国東市国東町東堅来
石を板のように薄く加工したものを「板碑」とよびます。てっぺんが三角形で、仏をあらわす種子【しゅじ】が刻まれたり、墨で書かれています。この板碑は、高さ3.38mの巨大な板碑です。父親の供養のため、元亨2年(1322)に建てられましたものです。供養の日に間に合わせるためでしょうか、横からみると、背面がまだ未完成です。
日田市田島
大原八幡宮で4月15日に執行される行事です。古来行われていた田植えの様子を再現したものです。
中津市耶馬渓町大字中畑
4月第2日曜日に桧原山正平寺【ひばるさんしょうへいじ】で行われる神仏習合【しんぶつしゅうごう】の祭です。福岡県にある英彦山【ひこさん】の修験道【しゅげんどう】と関わりのある祭です。
国東市国東町川原
石を板のように薄く加工したものを「板碑」とよびます。てっぺんが三角形で、仏をあらわす種子【しゅじ】が刻まれたり、墨で書かれています。国東市国東町の川原地区には、2つの板碑があります。いずれも、つくられた年号があり、石造物の歴史を知るうえで基準となるものです。
大分市荷揚町1201
現在の大分市付近を治めていた府内藩の城です。慶長2年(1597)に築城が始まり慶長7年に本丸・二の丸・三ノ丸が完成しました。現在は、天守台他石垣と、江戸時代中の災害後に再建された宗門櫓・人質櫓(県指定)等が残っています。