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玖珠郡九重町田野
江戸時代、この木がある飯田高原【はんだこうげん】の東部には岡藩領と幕府領の境界がありました。草原が広がる所に、ここが境界、とわかるように、境界の両側にカシワとクヌギの木を植えたといいます。現在は、カシワの木のみがのこっています。
豊後高田市平野2579 胎蔵寺
宇佐市大字高森字京塚 大分県立歴史博物館
鎌倉時代のはじめに活躍した豊後の刀工、行平【ゆきひら】の作風を目指して作られた短刀です。安吉という刀工が、鎌倉時代の終わりにつくったものと考えられます。
豊後大野市朝地町鳥田135
豊後大野市にある、神角寺の本堂にまつられていた懸仏です。神仏習合【しんぶつしゅうごう】の考え方を基に、神の本当の姿である仏を銅板にとりつけて、まつられていたものです。
竹田市竹田町2083番地 竹田市歴史文化館・由学館
江戸時代の画家、田能村竹田が死の直前に残した書です。旅先で重い病にかかった竹田は、自分の回復を願ってこの詩を書きました。人生の終わりを感じながらも、強く生きようとする竹田のエネルギーが感じられます。
江戸時代の終わりごろ、田能村竹田【たのむらちくでん】はすぐれた南画【なんが】を数多くのこしました。この絵は、竹田が恩師である伊藤鏡河を描いたものです。竹田が肖像画を描くのは珍しく、鏡河への特別な思い入れが伺えます。
大分市寿町2番1号 大分県立美術館
江戸時代の終わりごろ、田能村竹田【たのむらちくでん】はすぐれた南画【なんが】を数多くのこしました。この作品は竹田の代表作で、竹田が稲川という川で友人たちと舟遊びをしたときのようすをもとに描かれています。
日田市天瀬町出口
鰐口【わにぐち】とは、お寺や神社につりさげて打ち鳴らす道具です。日田市天瀬町の山中薬師堂というお堂に伝わっていた品です。
別府市東山 火男火売神社
鶴見岳【つるみだけ】南側の標高760m~800mにあります。常緑広葉樹【じょうりょくこうようじゅ】のアカガシが代表する樹木で、この林は常緑広葉樹の上限の林です。
宇佐市南宇佐2859 宇佐神宮
町石とは、道しるべや標識のようなもので、この町石はもとは御許山の山頂にあったと伝わります。現在は宇佐神宮の宝物館でみることができます。造られた時代が古く、貴重な例です。
江戸時代の終わりごろ、田能村竹田【たのむらちくでん】はすぐれた南画【なんが】を数多くのこしました。竹田は花や鳥もたくさん描いていますが、この作品はとくに有名です。竹・梅・椿と、2羽の鶴が描かれています。
大分市上野丘2ー8ー27 金剛宝戒寺
涅槃【ねはん】図とは、釈迦の死の様子を描いたものです。釈迦のまわりには弟子や動物たちが集まり、悲しむ様子が描かれています。縦横2mを超えるとても大きな絵です。
速見郡日出町豊岡
ミヤマキリシマは、日本固有種の植物で、標高800m以上の火山山頂一帯に自生し、群落【ぐんらく】をつくります。経塚山は標高614mで、このような標高の低い所に自生することは珍しいです。
豊後大野市三重町松尾1496 吉祥寺
豊後大野市三重町の吉祥寺に伝わる、鎌倉時代につくられた不動明王像です。吉祥寺は、もとは広福寺といい、天正14年(1586)に島津による豊後侵攻の際に焼けてしまいましたが、火災を逃れ、今に伝わっています。
宇佐市大字南宇佐
丈夫でよく切れると有名な豊後刀。この刀は、江戸時代のはじめに藤原輝行という刀工がつくりました。つくられた年代が刻まれており、資料として貴重ですが豊後刀の特色をよく表す優れた刀でもあります。
豊後大野市緒方町上畑
鰐口【わにぐち】とは、お寺や神社につりさげて打ち鳴らす道具です。銘文【めいぶん】の筆者や彫った人の名前まで書かれている、珍しい銘文を持った鰐口です。
佐伯市宇目藤河内
キリは、中国原産の植物とされていましたが、大分県南部の祖母・傾山系【そぼ・かたむきさんけい】で、野生のキリが確認されました。このキリは、昭和34年の指定当時で、高さ20mほどで、当時確認されたキリの中で最大のものでした。
宇佐市大字南宇佐2859 宇佐神宮
江戸時代、日田の代官だった塩谷大四郎は干拓工事に取り組んでいました。この刀は、宇佐新田開発の成功を願って肥後(いまの熊本県)の刀工親子であった延寿国秀・国俊につくらせ、宇佐神宮に奉納したものです。