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豊後大野市清川町六種
宝塔とは、円柱に屋根をのせたデザインで、屋根の上には仏教の塔のシンボルである相輪(そうりん)がたちます。木や金属、石など、さまざまな素材でつくられました。この宝塔は、高さが約2mあり、銘文を多く残しています。銘文【めいぶん】にある嘉暦年間 (1326 ~ 28)の年号を裏付けるように、鎌倉時代の特徴が多く見られます。
別府市鉄輪
国東半島一帯には、独特のデザインの石塔があります。「宝塔」という石塔をもとにしたもので、「国東塔」と呼ばれます。この国東塔は、現在は鉄輪温泉白池地獄の庭内にありますが、基礎が整っていないため、国東方面から移動したものと考えられます。高さは約2.7メートルで、角閃安山岩が使われています。
国東市安岐町両子1548番地
国東半島一帯には、独特のデザインの石塔があります。「宝塔」という石塔をもとにしたもので、「国東塔」と呼ばれます。この塔は鎌倉時代に造られたと考えられ、高さは約4. 5mあります。塔身は裾のやや細まった円筒形で、正面に「奉納如法書写一乗妙法蓮花経」と刻まれています。
豊後大野市三重町久田
五輪塔とは、5つのパーツにわかれる塔です。それぞれのパーツは、四角形・丸・三角形など、いろいろな形をしています。この五輪塔は高さが約2.5mもある大きな五輪塔です。彫られている文字から、つくられた時代や、つくった人の名前がわかります。
国東市安岐町矢川
鎌倉時代~室町時代の墓と考えられる2基の地下にたてにほられた穴【あな】です。死者を安置するための場所と考えられる石積みがあります。刀が2点が出土したと伝えられています。
竹田市直入町長湯
T字の形をしている石造の墓碑です。上部には、横書きで「INRI」と彫られています。これは、イエス・キリストが十字架にかけられた時に書かれていた文字といわれています。
国東市国見町中 個人
この五輪塔は、さまざまな種類の石造物が建つ妙吉寺旧墓地にあります。一つの石でつくった五輪塔で、このような五輪塔を一石五輪塔【いっせきごりんとう】といいます。
宝塔とは、円柱に屋根をのせたデザインで、屋根の上には仏教の塔のシンボルである相輪(そうりん)がたちます。木や金属、石など、さまざまな素材でつくられました。この宝塔は、高さが約2mあります。銘文【めいぶん】があり、嘉暦年間 (1326 ~ 28)につくられました。
日田市中津江村合瀬 津江神社
津江神社のスギ並木とウラジロガシ林とモミ・ツガ林からなる境内林です。地域の鎮守の森として、また、日田スギのいわば元祖である原木として大変貴重です。
豊後高田市夷
国東半島一帯には、独特のデザインの塔があり、「国東塔」とよばれています。この塔は、上の方がなくなっていますが、高さは2.34mあり、大きな国東塔です。
日田市天瀬町馬原
高塚地蔵尊の境内に、霊木【れいぼく】として植栽された推定樹齢1,000年をこえるイチョウの巨樹です。イチョウはナギやソテツと同じ雌雄異株【しゆういしゅ】の木で、高塚地蔵のイチョウは雄株です。
宇佐市佐野611 光明寺
石を板のように薄く加工したものを「板碑」とよびます。てっぺんが三角形で、上の方に二本の線が刻まれています。1つの石に2つの板碑が並んで刻まれています。このように、1つの石に複数の板碑を刻んだものを連碑【れんぴ】とよびます。写真にあるように、光明寺には連碑が2セットが伝わっています。
日田市天瀬町馬原 鞍形尾神社
ウラジロガシを主体にして、イチイガシの巨樹【きょじゅ】も一部みられる、まとまりのある貴重【きちょう】な自然林です。
豊後高田市梅木
石を板のように薄く加工したものを「板碑」とよびます。てっぺんが三角形で、上の方に二本の線が刻まれています。この板碑は、1つの石の両面を加工して板碑を刻んでいます。このような板碑は、両面板碑とよばれます。
豊後大野市犬飼町黒松
宝塔は、円柱に屋根をのせたデザインで、屋根の上には、塔のシンボルである相輪【そうりん】があります。この塔は、高さ2.53mの大型の塔です。塔身【とうしん】に墨で書いた銘文【めいぶん】があり、貞和2年(1348)に建立されたことがわかります。
豊後高田市西真玉3105 真玉寺
国東半島一帯にあります。屋根の下に、地蔵菩薩等を彫った部分があります。このようなデザインの石塔は、大分県の独特のものといえます。この石殿は、真玉寺の境内にあり、細やかな表現がされている屋根の下の龕【がん】には、六地蔵が彫られています。
宇佐市院内町小坂
5つのパーツにわかれる塔です。下のパーツから、地輪【ちりん】・水輪【すいりん】・火輪【かりん】・風輪【ふうりん】・空輪【くうりん】といいます。それぞれのパーツは、三角形・丸・四角形など、いろいろな形をしています。地輪に仏の種子【しゅじ】と元徳3年(1331)の年号が刻まれています。
もとは、近くのお寺の跡にあったものを、草三郎大神宮境内に移したと伝えられます。石造五輪塔婆は大分県内では数が少なく珍しいです。横には、同時期のものとみられる角塔婆があります。